【中学受験、父と息子の365日戦記】第5話|国語の壁と、自分の未熟さに気づく

← 第4話へ第6話へ →

春期講座が終わり、気がつけば4月も後半。
入塾して2か月が経とうとしていた頃、私は「国語」の壁に直面していた。

正確には、“息子が”ではなく、“私が”――だ。

息子の国語の成績は、なかなか安定しない。
記述問題は空欄だったり、ピントがずれていたり。
復習テストや月例テストでも、平均点に届かないことが続いた。

「もっとちゃんと読みなさい」
「設問の意図を考えなさい」
何度、そんな言葉を飲み込んだだろう。

実は私は、息子の国語テストを毎回解いている。
本文を読み、設問に答え、解説を読む。
最近では、少し楽しくなってきている自分がいる。

登場人物の心情。
時代背景と描写のギャップ。
大人になってから読む文章が、こんなに面白いなんて思ってもみなかった。

でも、息子にはそれが難しい。
背景や心の機微を読み取るには、人生経験が足りない。
だから「ズレる」し、「分からない」となる。

それを、私はどこかで「努力不足」と決めつけていた。
実力ではなく“意識の問題”だと思い込んでいた。

…傲慢だった。

あるとき、記述問題を一緒に見返していて、息子が言った。

「これって、何が正解なの?」

私は答えに詰まった。
解説には“模範解答”が書いてあるけれど、そこに至る“思考の道筋”をうまく説明できなかったのだ。

そのとき気づいた。
私自身、国語を「理解したつもり」で読んでいただけだったのだ、と。

中学受験の国語は、奥が深い。
そしてそれは、子どもだけでなく、大人の読解力や人間力まで試してくる。

私がすべきだったのは、「読め!」と叱ることではなく、
一緒に感じて、一緒に迷って、一緒に育つことだった。

そう思えた日から、私は少しずつ“父親”として成長している気がする。
少なくとも、自分の未熟さに気づけるようにはなった。

(続く)

---

※この物語は全8話(随時更新)で構成されています。次話はこちら → 第6話