【中学受験、父と息子の365日戦記】第16話|10月度後編 試練のとき

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小学校最後の運動会。
徒競走では初めて1位を取り、組体操も堂々とこなしていた。
あの誇らしげな表情は、きっとこの先も忘れない。

ところが、その夜。
息子は夜中にリビングのパソコンを開いていた。

前の週も、テストのプレッシャーを理由に同じことをしていた。
「ストレスが溜まるのも分かるけど、夜中に遊ぶのは違う」――そう思いつつ、
もう以前のように怒鳴ることはできなかった。

ゲームもYouTubeも制限されている中で、すべてを我慢させるのは酷なのかもしれない。
それに、息子も「これが良くないこと」だと分かっている。
その“分かっていながらやってしまう”感覚は、親である私にも心当たりがあった。

頭では理解している。
短い時間の積み重ねが、合否を分けることもある。
この小さな油断の積み重ねが、人生の舵を握る力になるかもしれない。

けれど、今の段階で「そんなことをしていると不合格になるぞ」と脅すのも違う気がした。
まだ不合格になったわけでもないのに、
未来の結果で子どもを縛るのは、あまりに大人の都合だ。

結局、親に求められているのは、
「子どもをそのまま受け入れ、結果も受け入れ、それでも信じること」なのだろう。
中学受験の専門家・長谷川智也先生の言葉を借りれば、
「子を塾に入れ、お金を出した時点で、親としての役割は果たしている。
その後は、子の意欲と成長を見守るだけでいい」。
その言葉が頭をよぎる。

それでも、理屈では分かっていても、感情はついてこない。
私は息子の教材を管理している。
どこが未完了で、どの単元が抜けているのかが、手に取るように分かる。
「やるべきことをやっていない」現実を目の前にすると、
どうしても一言、言いたくなってしまう。

日曜特訓のテストは散々。
レギュラーの復習テストは粘って上位に入っているが、
10月26日の合否判定テストの結果は明らかに落ちていた。

苦手の社会が平均点を下回り、国語と算数が伸び悩んだ。
「苦手科目を得意科目でカバーする」という前提が崩れ、
4科目での総合偏差値は久しぶりに55を下回った。
本人はまだ結果を見ていない。
きっと、見た瞬間に落ち込むだろう。

だが、私は妙に冷静だった。
「夏以降、勉強時間が減ったのだから、こうなるのは当然だ」
「塾のテストは本当によくできている」――皮肉を込めて、そう思った。
おそらくこの結果が、息子の気持ちを少しは変えるだろう。
もしこれで危機感を覚えるなら、それでいい。
私が焦るより、息子が感じることのほうがよほど意味がある。

その一方で、心のどこかでこうも思っていた。
「勉強が足りないことは分かっている。
でも、塾が楽しくて、友達と笑い合っている。
その時点で、もう十分じゃないか」

10月下旬、お風呂での会話。
息子がぽつりと言った。
「塾の勉強って、楽しいね。もっと早くから通っておけばよかった」
「その割にはあんまりやらないね」と言いかけたが、飲み込んだ。

彼は続けた。
「9月に戻れるなら、もっと真面目に国語の基礎やって、計算ドリルも毎日やって、特訓の宿題もある程度やるのに」

私は思わず笑った。
「10月にそう思えるのは、むしろ早くていいよ。
これが試験1か月前だったら、後悔だけで固まって動けなくなってたよ」

息子は驚いた顔をした。
きっと「今頃後悔しても遅いぞ」と言われると思っていたのだろう。
その表情に、ほんの少しだけ救われた気がした。

だが、行動は変わらない(笑)。
宿題は最小限。計算ドリルは10日分溜まり、机には中途半端なノート。
頭では分かっているのに、行動が追いつかない――それは息子も私も同じだ。

私は現実を理解している。
このままでは第1志望校は厳しい。
けれど、第2志望、第3志望であれば合格の可能性は十分にある。
そして、それでいいとさえ思っている。

ただ、息子は違う。
彼の目標はあくまで第1志望校。
ならば、その覚悟にふさわしい努力をすればいい。
私が無理やり本気にさせることではない。
「第1志望を目指しているのは息子であって、私ではない」
そう思い直した。

夜、机の上に置かれた息子の答案を見ながら、
私はようやく気づいた。

――この「わかっているのに動けない」という感覚こそが、
 今、私たち親子に課された試練なのだと。

子どもは現実から目をそらし、
親は感情に負けて理性を保てない。
どちらも未熟で、どちらも成長の途中。

試練とは、子を試すものではなく、
親をも試すものなのかもしれない。

(続く)

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