東海中高365日戦記【番外編】 第49回サタデープログラム参加記

はじめに

2026年6月27日、東海中高が主催する「第49回サタデープログラム(通称:サタプロ)」へ参加してきた。
サタプロとは、愛知県・名古屋市の後援のもと私学助成金によって運営されている土曜市民公開講座である。

しかし、ただの公開講座ではない。

講師への依頼・交渉から当日の運営、ホームページの制作、SNSの運営に至るまで、生徒実行委員が主体となって作り上げている東海中高最大級のイベントである。
約70もの講座が一日で開かれる。

今回は三つの講義を受講した。
どれも非常に内容の濃い講義だったが、それ以上に印象に残ったのは「本気で物事を追究する人たち」の姿だった。
本記事は、未来の自分が読み返すための備忘録として、講義内容とその時感じたことを書き残しておきたい。

第1部 戦争と平和の時間 その1 ~戦争のつくられ方~

講師:西形久司氏(元東海高校社会科教員)

この講義を選んだ理由

数日前、『銀河英雄伝説』を読んでいて、主人公ヤン・ウェンリーの次の言葉が心に引っ掛かっていた。

「人間の社会には思想の潮流が二つある。生命以上の価値が存在する、という説と生命に勝るものはない、という説とだ。人は戦いを始めるとき前者を口実にし、戦いをやめるとき後者を理由にする。」

なるほど、と思う一方で、どこか腑に落ちない感覚が残った。

人はなぜ戦争へ向かうのか。
なぜ同じ過ちを繰り返してしまうのか。

この引っ掛かりを少しでも解くきっかけになればと思い、この講義を受講した。


講義の概要

西形先生は元東海高校の教頭先生であり、現在は別の高校で非常勤講師を務める傍ら、愛知県や名古屋市で戦争と平和に関する様々な活動を続けておられる。

講義では、「なごや平和の日」の制定にまつわる話から始まり、

  • 戦争の恐ろしさとは何か
  • 情報操作と同調圧力によって人々が戦争へ加担してしまう過程
  • 戦争に加担しないために、一人ひとりが何を心掛けるべきか

などについて話された。


特に印象に残ったこと

講義内容そのものも大変興味深かったが、私が最も心を動かされたのは、西形先生ご自身の研究姿勢だった。

先生は講義の中で、実際に各地の資料館や図書館へ足を運び、当時の記録や文献を丹念に調査してきたことを紹介された。
それだけではない。
書籍や資料に掲載されている「抜粋」や「要約」だけでは見えてこない、その記録が残された背景や意味を理解するために、可能な限り原典へ当たり続けているという。

さらに、複写された資料では一部が欠落していることに気付き、原本を確認することで初めて分かった事実も紹介されていた。
私はこの話を聞きながら、「一次資料に当たること」の本当の意味を考えていた。

単に「原典を読め」という話ではない。

要約や引用を繰り返すうちに失われてしまう文脈や意図まで含めて理解しようとする、その姿勢そのものが大切なのだと感じた。
ブログを書く者として、また情報を発信する者として、大変考えさせられる話だった。


講義で紹介された書籍

『わたしを束ねないで』(新川和江)

「ファシズム」の語源はイタリア語の fascio(束・集団・結束)である。
講義では、「人を一人の人格としてではなく、名もなき『束』にしてしまうことから戦争は始まる」という文脈で、この詩が紹介された。

私もこの詩は知っていた。
おそらく学校の教科書で読んだのだと思う。

しかし、「わたしを束ねないで」という言葉に、ここまで深い意味が込められていたとは考えたことがなかった。


『茶色の朝』(フランク・パヴロフ)

「茶色のペット以外は飼ってはいけない。」
そんな法律が制定された世界を描いた反ファシズムの寓話である。

講義では、人は異常なことでも少しずつ順応し、「これでいいのではないか」と受け入れてしまう危うさが語られた。

私にも、それを他人事とは思えない経験がある。
海外で暮らしていた頃、日本では違和感を覚えたはずのことでも、生活を続けるうちに「これでいいのではないか」と受け入れている自分に気付いたことがある。
もちろん戦争とは全く次元の異なる話である。

しかし、人は環境に順応してしまうという点では共通しているのかもしれない。
西形先生の話を聞きながら、そのことを改めて考えさせられた。


『女も戦争を担った』(川名紀美)

講義では、
「戦争は担わされるものではなく、(情報操作や同調圧力によって)担ってしまうもの」
という説明とともに紹介された。


エーリヒ・ケストナーの著作

ケストナーはファシズムを雪玉に例え、
「転がる雪玉を砕かなければならない。雪崩になってしまえば、もはや誰にも止められない。」
という趣旨の言葉を残しているという。

違和感を覚えたとき、小さなうちに立ち止まり、自分の頭で考えることの大切さを表しているように思えた。


受講して感じたこと

この講義は、「戦争と平和」を学ぶ講義であると同時に、「知に対して誠実であること」を学ぶ講義でもあった。

西形先生は、「他人に考えてもらって、自分はそれに委ねてしまう」ことがいかに恐ろしいことなのかを説明され、

「自分の頭で考える。」
「疑う。」
「実際の記録や文献に当たる。」

ことの大切さを繰り返し話された。そして

こうした言葉を語る人は決して少なくない。
しかし、西形先生はそれをご自身で長年実践し、その経験を生徒へ伝えている。
そこに私は強く心を動かされた。

講義のあと、先生について少し調べてみると、先生ご自身も長年にわたり現地調査や資料収集を続け、「自分で考えること」の大切さを発信し続けておられることを知った。

「東海には本当に良い先生がおられる。」

そう思った。

また、この講義を選び、「戦争と平和」という決して軽くないテーマに真剣に向き合おうとしている東海生たちの姿にも感心した。

私自身、この講義を受けるきっかけとなった「引っ掛かり」を完全に解消できたわけではない。
それでも、自分の頭で考え続けることの大切さを改めて教えられたし、むしろ考え続けることこそが答えなのかもしれないと思えた。

第2部 テレビ番組を裏から見てきた人

講師:石川昌孝氏(NHK第1制作センターチーフ・プロデューサー)

この講義を選んだ理由

この講義を選んだ理由は二つある。

一つは、サタプロらしい講義だと思ったからである。
サタプロでは、生徒たちが「この人の話を聞きたい」と思った講師へ自ら依頼し、講義を企画する。
NHK「ねほりんぱほりん」のプロデューサーを招くという発想そのものに、生徒たちの熱意を感じた。

もう一つは、「ねほりんぱほりん」という番組が強く印象に残っていたからである。
私はこの番組を何度も見ていたわけではない。
たしか一度見ただけだったと思う。

しかし、その一度で十分だった。
「訳ありゲスト」の話ももちろん興味深かったのだが、それ以上に驚いたのは、人形劇であるにもかかわらず、人間が演じる再現ドラマ以上に出演者の心情が伝わってくることだった。

ブタのぬいぐるみが、不思議なほどリアルに心情を訴えかけてくる。
「どうやってこんな番組を作っているのだろう。」
そう思ったことを今でも覚えている。

私は世界中のテレビ番組を知っているわけではない。
それでも、「こんな表現ができるのはNHKぐらいなのではないか」と感じるほど強いインパクトを受けた番組だった。
その番組を制作しているプロデューサーの話を直接聞けるのであれば、ぜひ受講したいと思った。


講義の概要

石川氏は、

  • 「ねほりんぱほりん」
  • 「Let's 天才てれびくん」
  • 「週刊こどもニュース」
  • 「NHKスペシャル 永平寺104歳の禅師」

など、これまで携わってきた番組を例に挙げながら、番組制作の考え方や制作現場での試行錯誤を紹介された。

特に印象に残ったのは、
「面白くなければ見てもらえない。」
という考え方である。

石川氏は「面白い」を

  • 笑える
  • 知る
  • 心が動く

の三つに分類し、「そこにどんな面白さがあるのか」を徹底的に考え抜くことが、番組づくりであり仕事であると話された。

また、「ねほりんぱほりん」については、
「ディテール(細部)こそがリアルを物語る。」
という言葉が特に印象的だった。

人形劇だからこそ、人形が持つ小物、衣装、人形の首の傾きや目線、間の取り方など、細かな動きまで徹底してこだわることで、出演者の感情を表現しているという。


私が受講して感じたこと

石川氏は「面白い」を、
「笑える」
「知る」
「心が動く」
の三つに分類して説明された。

この話はとても印象に残った。
知識を得るだけでは、人の記憶には残りにくい。
「なるほど」と腑に落ちたり、「そういう見方もあるのか」と心が動いたりするからこそ、その内容は記憶に残る。
自分が文章を書くときも、少し意識してみたいと思った。


「ディテール」とは何か

今回の講義で、私が最も印象に残った言葉は、
「ディテールこそがリアルを物語る。」
である。

私は最初、この言葉を「細かく描写すること」だと思った。
しかし、講義を聞き終えて、それだけではないと感じた。

石川氏は、人形劇の動きを例に挙げながら、出演者の感情を表現するために、人形のわずかな動きにまで徹底してこだわっていることを紹介された。
ディテールと表現技法だけではない。
細部にまで注意を払い、徹底的に作り込む姿勢そのものなのだ。


企画した東海生へ聞いてみた

講義終了後、この講義を企画した東海生へ、
「なぜ石川さんを招こうと思ったのですか。」
と尋ねてみた。
返ってきた答えは、とてもシンプルだった。

「『ねほりんぱほりん』の"攻めた"企画が大好きで、制作している人の話を聞いてみたかったからです。」

その一言に、この講義が実現した理由が凝縮されているように思えた。
石川氏へのインタビュー記事であれば、インターネットを探せば見つかるだろう。しかし、

本人から直接話を聞くこと。
ライブでその場の空気を感じること。
そして、そのために自分たちで講師へ依頼し、講義を企画すること。

その経験は、記事を読むことでは決して得られない。

この90分の講義だけではない。
そこへ至るまでの準備も含めて、生徒たちは多くのことを学び、成長しているのだろうと感じた。

第3部 高校議題研究会「日本は富裕税を導入すべきである。是か非か」

講師:岸野悦朗氏(南山大学経済学部教授)

この講義を選んだ理由

今夏の高校ディベート選手権(東海地区予選)のお題が

「日本は富裕税を導入すべきである。是か非か」

であると知り、税に携わる人間として興味を持った。
また、東海中高はディベート部も有名と聞いている。
私はディベートそのものよりも、「高校生がどのような準備をして大会へ臨むのか」を見てみたいと思い、この講義を受講した。

実際には、ディベートの実演ではなく、大会へ向けて必要となる知識を整理するための講義だった。


講義の概要

講義では、

  • 租税の意義
  • 税金の種類
  • 税収と財政
  • 旧富裕税の概要と廃止された経緯
  • 富裕税のメリット・課題

などについて、様々なデータを用いながら説明が行われた。

そのうえで、ディベートを行う際に考慮すべき論点や、福沢諭吉の『学問のすすめ』における租税観なども紹介され、単に賛成・反対を議論するのではなく、その前提となる知識を整理する内容となっていた。


私が驚いたこと

私は税理士なので、講義の内容そのものは理解できた。
しかし、率直に思った。
「これを高校生が理解したうえでディベートをするのか。」

例えば、
「担税力」
という言葉一つ取っても簡単ではない。

「所得課税」「資産課税」「消費課税」それぞれの違いを理解し、

さらに「水平的公平」「垂直的公平」
といった考え方まで整理しながら議論を組み立てていく。
私には、それだけでも十分難しいように思えた。

しかも、講師は特に高校生向けに内容を易しくしているようには感じられなかった。
「本当に理解できるのだろうか。」
そんな疑問を持ちながら講義を聞いていた。


ディベート部員へ聞いてみた

講義終了後、運営していた生徒さんへ声を掛けてみた。

「講義資料の内容は理解できましたか。」
「講師のお話も理解できましたか。」

すると、
「資料の内容は理解できました。」
「講義は専門用語が難しかったところもあったので、あとで調べて勉強したいと思います。」
という答えが返ってきた。

私は、その一言に感心した。
分かったふりをしないのである。
分からなかったことは、自分で調べる。
そして知識を積み重ねたうえで議論する。

ディベートは、話が上手であれば勝てる競技ではない。
相手の主張を正しく理解し、その上で自分の考えを組み立てるだけの知識がなければ、ただの言い合いになってしまう。
ディベート部が強い理由は、こうした日々の積み重ねにあるのだろう。


受講して感じたこと

私が高校生だった頃、このような学び方をした記憶はない。

好きなことはあった。
夢中になることもあった。
しかし、それをここまで知的に追究しようという発想すら持っていなかった。

「好きなことを追究する」とは、単に夢中になることではない。
知識を集め、人の話を理解し、自分の考えを深めていく。
そうした知的な営みそのものなのだと感じた。

また、この講義には東海生だけでなく、近隣高校のディベート部員と思われる高校生も参加していた。
学校は違っても、同じテーマについて真剣に学び、議論しようとしている。
その姿は、とても頼もしく見えた。

最近では、AIに聞けばもっともらしい答えがすぐ返ってくる。
私自身もAIをよく利用している。
比較的、鵜呑みにはしない方だと思っているが、それも所詮は五十歩百歩なのだろう。
分かったつもりになり、自分で調べず、考えずに済ませてしまう誘惑は、大人になればなるほど大きい。

だからこそ、この高校生たちの姿勢が眩しく見えた。
知に対して貪欲であり、そして誠実であること。
年齢に関係なく持ち続けたい姿勢である。

もっとも、若い彼らのような熱量を、今の私が持てるかと言われれば自信はない。
年齢のせいなのか、それとも私自身の問題なのかは分からない。
ただ、その姿をうらやましいと思えた。