仕訳が好きすぎて「変態」と言われたので、その魅力を説明したい


(2026年8月13日にリライトしました)

四半期決算や期末決算が始まると、連結決算チームでは毎日ミーティングを行う。
決算が始まったばかりの頃は、まだ各社から十分なデータが集まっていない。しかし稼働日が進むにつれて、だんだんデータが集まり、連結決算も本格化してくる。

そんなある日のミーティング。私はメンバーに声をかける。
「さぁ今日は稼働日○日目。データも集まってきて、仕訳を切る機会も多いから楽しみだよね!」
すると返ってくる。
「それ、MKさんだけですよ(笑)」
そうなのだろうか。私は仕訳を切るのが好きである。

仕訳は「簿記という言語」である

大変シンプルな例えで説明しよう。100円の商品を10個仕入れて、そのうち8個を売ったとする。
これを、

仕入 1,000 / 買掛金 1,000
繰越商品 200 / 仕入 200

と表現する方法もあれば、

商品 1,000 / 買掛金 1,000
売上原価 800 / 商品 800

と表現する方法もある。
最終的な売上原価はどちらも800円。結果は同じである。でも、私には同じに見えない。

前者は棚卸計算によって売上原価を導き出している。一方、後者は商品が1,000円入ってきて、そのうち800円が出ていったという「モノの動き」を表現している。
企業で起きた取引を、どのように「仕訳」という形で描写するのか。
仕訳とは、企業で起きたことを「簿記という言語」に変換する作業なのである。
……何を言っているのか分からない人もいると思う。
大丈夫である。
ここからもっと分からなくなる。

仕訳は未来の経理マンへのメッセージ

昔、上司から仕訳について、こんなことを教わった。
自分が切った仕訳について、
① 今の自分が見て理解できるか。
② 今、他人が見ても理解できるか。
③ 将来、誰が見ても理解できるか。

この3つの視点で考えろ、というものだった。

例えば決算締めの最終段階で、製造現場から、
「すみません。本来計上すべき納入取引が、記帳できていませんでした!」
と報告を受けたとする。
実地棚卸はすでに終わり、期末在庫は確定している。
だったら、

売上原価 / 買掛金

と一本の仕訳を切れば、財務諸表の数字は正しくなる。でも、私は、

商品 / 買掛金
売上原価 / 商品

と切りたい。
一度商品が入ってきて、それが売上原価になった。実際に起きたことを、そのまま仕訳に残しておきたいからである。

何年か後、この仕訳を見た経理マンが、
「ああ、この時期にこんなイレギュラーな手仕訳を入れているということは、きっと決算締め間際に仕入計上漏れの報告でもあったんだろうなぁ」
と察するかもしれない。そして、
「昔も今も、あんまり変わらないんだなぁ」
と苦笑する。
1本の仕訳に込められたメッセージが、時を超えた瞬間である。

過去の仕訳は古文書である

実際、仕事をしていると、何年も前に誰かが切った仕訳を調べることがある。
「なんでこんな仕訳を切ったんだ?」
仕訳だけでは分からない。
前後の仕訳を見る。残っている資料を見る。当時の取引を調べる。同僚と、
「たぶん、このとき○○があったんじゃない?」
「だったら、この仕訳の意味も通るね」
などと話しながら、当時何が起きたのかを推測していく。
古文書を開いて、その内容を検証するようなものだ。

本人たちは経理の仕事をしているだけなのだが、気分は発掘したものから仮説を立てる考古学者である。
そして調べている途中で、見覚えのある仕訳に遭遇することもある。
「おお、これ○年前に私が切った仕訳だな」
見る。
ちゃんと考えて切ってある。今の自分が見ても、何をやったのか分かる。
「ちゃんと考えて、美しく切ってるな」
悦に入る。
過去の自分が切った仕訳を、未来の自分が鑑賞する。
時間を超えられる仕訳は、本数が多くなろうとも美しい。

紙に仕訳を書いているとテンションが上がる

私は何かを企画するとき、大量の走り書きメモを書く。
思いついたことを書き、矢印でつないで、また書く。頭の中が整理されてくると、だんだんテンションが上がってくる。

連結決算でも似たようなことをする。
複雑な取引が出てきたら、メモ用紙に仕訳を手で書く。
親会社ではこう。子会社ではこう。
だったら連結ではこうなる。
仕訳を書きながら頭の中を整理し、自分が正しく理解できているかを確認する。
このときも、だいたい同じくらいテンションが上がっている。

ちなみにシステムが自動で作った仕訳もチェックする。
今までと違うことが起きたのに、今までと同じ条件でデータが流れれば、正しい仕訳にならないことがあるからだ。
変化点があれば、ちゃんと見る。
普通は面倒なのかもしれない。
仕訳が好きなので、私はそれほど苦にならない。

以前、連結決算チームのメンバーにこの手の話をしたところ、
「MKさんの言っていることは分かりますが、そこまで面白いかどうかは……」
と言われた。そして、
「変態の領域ですよ」
と続けられた。なるほど。
しかし、まだ話は終わっていない。

資本連結仕訳は芸術性が高い

連結決算には「資本連結仕訳」というものがある。親会社の投資と子会社の資本を相殺消去する仕訳である。
通常の会社で切られる仕訳の多くは損益取引なので、資本取引の仕訳自体がレアである。
しかも資本連結では、親会社で何が起きたのか、子会社で何が起きたのかを理解したうえで、それを連結という世界で組み直さなければならない。
子会社の持分比率が変わったりすると、普段とは違う仕訳まで登場する。
芸術性が高い。

資本連結の中でもレアな仕訳を見つけたら、同僚に言う。
「こんな仕訳があったよ」
そして続ける。
「面白いよね~」
反応は、だいたいイマイチである。

さらに連結キャッシュフロー計算書には「キャッシュフロー仕訳」というものまである。
それまでに切られた自動仕訳や手仕訳を頭の中でイメージし、そのうえでキャッシュフロー仕訳を組み立てる。
会計パズルをパチパチとはめて、最後に「連結」という絵を描くような作業である。
面白いにきまってる。私には。

これで仕訳の魅力が伝わったと思う。

昔から仕訳が好きだったわけではない。
現在の会社に入り、連結決算をやるようになった。製造業の会計を経験し、仕訳が製造工程やモノの動きまで表現していることを知った。
そこから仕訳の見え方が変わった。

会社で起きたことを簿記という言語で描く。
その仕訳を誰かが見る。
何年か後、また別の誰かが見る。
たまには過去の自分が切った仕訳に再会して、「美しい」と悦に入る。
だから私は、仕訳を1本切るたびに幸せを感じる。
この面白さを、できれば他の人にも分かってほしいと思っている。
ここまで読んでくださった読者諸兄には、仕訳の魅力が十分に伝わったことだろう。
……。
おかしい。

これだけ説明したのに。