50歳、「将来のために積み上げる」ことから下り始める

今朝、副業についてAIに相談していた。

現在、副業から得ている収益はほとんどないし、今すぐ大きく稼ぎたいとも思っていない。それでも、ときどき「6年後ぐらいに何か面白いことになっていたらいいな」と妄想することがある。
私は今50歳なので、6年後なら56歳である。その頃に何らかの形で副業から収益を得られる可能性があるのなら、そのときになって「あれをやっておけばよかった」と後悔しないよう、今から何かやっておいた方がいいのではないか。
そんな話をAIに投げたところから、この日の議論は始まった。

6年間で何を積み上げるか

最初はかなり真面目に、「6年間で何を蓄積すればいいのか」を考えていた。

自分にとって価値のある蓄積と、将来の潜在顧客にとって価値のある蓄積は違う。たとえばAIを大量に使った経験は自分にとって大きな価値になるかもしれないが、「私はAIをたくさん使いました」と言ったところで、誰かがお金を払ってくれるわけではない。
では、今やっているAI研究のようなものを6年間続けたらどうなるのか。ブログの記事を大量に残すことに意味はあるのか。AIソフトを作り続けたら、それが何らかの能力になるのか。私の強みはどこにあり、それをどうすれば外部の価値へ変換できるのか。
朝の私は、そんなことをかなり真剣に考えていた。

ところが話しているうちに、だんだん別の疑問が湧いてきた。
私はなぜ、6年という時間を見つけると、すぐに「何を積み上げよう」と考えるのだろう。

30代の私は、積み上げることで人生を変えた

思い当たる理由はある。

2009年から2013年までの5年間、私は税理士試験の勉強をしていた。当時は30代だった。
あの5年間で得たものは大きい。誰から見ても分かりやすいものとしては税理士資格があり、会計や税務についての知識も身についた。しかし、自分にとってもっと大きかったのは、大きな目標を達成したことで得た自信や、物事を深く考える力、未知の領域にぶつかったときにも自分なりに考えて対応する力だったと思う。
税理士試験の前と後では、自分はかなり変わった。
だから私の中には、「時間をかけて何かを積み上げれば、それは将来の自分を助けてくれる」という強烈な成功体験がある。
6年あるなら何をするか。何を学ぶか。何を身につけるか。どんな専門性を作るか。将来のために今から何を準備しておくか。
そう考えるのは、ある意味では当然だったのかもしれない。

ただし、あの5年間は命を削った5年間でもあった。
今、同じことをやったら本当に死ぬかもしれない。少なくとも、もう一度やろうとは思わない。

私はもう50歳である

30代の頃とは条件が違う。
体力も違うし、家族もいる。息子はまだ中学生で、ものすごい勢いで成長している。親としてその姿を見るのは面白いし、できるだけしっかり見ていたい。

一方で、息子の成長だけを自分の楽しみにしたいわけでもない。自分の夢を息子に託したくもないので、自分自身も何かしら成長していたいとは思う。
だから最初は、「30代の税理士試験ほど無茶はせず、健康や家族を犠牲にしない範囲で、50歳からの6年間にも何かを積み上げよう」と考えていた。

ところが、ここでもう一つ気になることがある。
これまで仕事で20年以上かけて積み上げてきた知識や経験も、いつかは手放す日が来る。
経理の仕事も、税理士という肩書も、永遠に持ち続けるものではない。それなのに50歳になった私は、まだ「次は何を身につけよう」「6年後のために何を積んでおこう」と考えている。
そろそろ、積み上げることとは逆の方向についても考えた方がいいのではないか。

お金には「取り崩し」がある

このあたりで思い出したのが、以前買ったカン・チュンドさんの『つみたて投資の終わり方』という本だった。
これはお金の話である。
金融資産は、いつまでも積み立て続けるためにあるわけではない。人生の前半で積み上げた資産を、人生の後半では少しずつ取り崩しながら使っていくことになる。
考えてみれば当たり前なのだが、能力や経験についても同じことが言えるのではないかと思った。

これまでの私は、能力についてはずっと積立期にいた。勉強して知識を身につけ、経験を積み、できることを増やし、それを資格や仕事や成果へ変換する。さらに新しいことが出てくれば、また勉強して能力を足す。
しかし、お金に積立期と取り崩し期があるのなら、能力にもいつか「下山」を考える時期が来るのかもしれない。
だからといって、50歳でいきなり何も勉強しなくなったり、新しいことをやめたりする必要はない。まだ面白いことには手を出したいし、何かに夢中になれば相変わらず猛烈にやると思う。
必要なのは、積み上げる力を捨てることではない。
AIとの会話の中で出てきた、
「積み上げる力を残したまま、積み上げなくても豊かに活動できる力を鍛える」
という言葉が、今の自分には妙にしっくりきた。

この考えをもう少し具体化するため、AIには「50~56歳の6年間をどう過ごすか」というマップまで作ってもらった。

MKの制作ソフト「AI攻略ナビ」の標準機能で作らせたマップである

こうして見ると、朝には「6年間で何を積み上げるか」を相談していたはずなのに、いつの間にか「どうやって下りるか」のロードマップを作っている。
ずいぶん遠くまで来たものである。

「もうすでに持っている」から始める

そのマップの中でも、特に気に入ったのが「すでに持っているものを使う力」という考えだった。

たとえばAIである。
今の私はChatGPTとGeminiを主に使っている。AIの世界では次から次へと新しいサービスが出てくるので、「これからの時代に備えて、もっといろいろなAIを使えるようになった方がいいのではないか」と考えることもできる。
少し前の私なら、「能力拡張」という言葉に多少は惹かれたかもしれない。
でも、もういいのではないかと思えてきた。

ChatGPTもGeminiも使える。経理も税務も多少は分かる。文章も素人なりに書いている。中国で働いたこともあれば、英語も少しはできる。50年間生きてきたのだから、それ以外にも細々としたものはいろいろ持っている。
「次に何を身につけるか」を考える前に、「もうすでに持っている」という前提に立ってみてもいい。
何かをやろうとして本当に足りないものが出てきたら、そのとき覚えればいい。ChatGPTとGeminiではどうしてもできないことをやりたくなったら、そのとき別のAIを使えばいい。

興味本位で新しいAIを触るのは構わない。それは単純に面白いからやればいい。
ただ、「将来必要になるかもしれないから、今のうちに能力として備蓄しておこう」とは考えない。
これはAIだけの話ではないと思う。

本気で積み上げない

今日の会話では、「これから新しくできるようになったら面白そうなこと」についてもいろいろ考えた。

たとえば、ボイストレーニングをして歌がうまくなること、筋トレをして年齢の割にはいい身体を作ること、大学でもう一度勉強して教養を身につけること、第二外国語を覚えること。どれも「50歳から新しく獲得する能力」の候補として考えていた。
でも、これらも別に「6年間で獲得すべき能力」にする必要はないのだと思う。
カラオケで高得点を取りたくなったらボイストレーニングにハマればいいし、筋トレをして「絶対その年齢に見えない身体」を目指してもいい。何かを勉強したくなったら夢中になって勉強すればいいし、AIで妙なものを作りたくなったら、たぶんこれからも作る。
ただし、それを必ず将来のための蓄積にしなくてもいい。

今日一日AIと話した結果、50歳からの基本方針として出てきたのが、
「本気で積み上げない」
だった。

これは「本気でやらない」という意味ではない。
せっかく勉強したのだから資格を取ろう。せっかく作ったのだから公開しよう。せっかく公開したのだから商品にしよう。せっかく詳しくなったのだから仕事にしよう。
そうやって、投入した時間や努力を何らかの成果へ「回収」し続けなくてもいい。
十分面白かったなら、それで終わってもいい。
この感覚を50歳から少しずつ身につけておけば、60歳になったときには、今より上手に下山できるのではないかと思う。

2026年9月2日の記録

とはいえ、これは今日思いついたばかりの話である。

半年後には「やっぱり何か大きなものを積み上げたい」と言っているかもしれないし、55歳の自分がどう考えているのかなど、今の私には分からない。
だから、これは50代の生き方を誰かに勧めるための記事ではない。
2026年9月2日、50歳の私はこんなことを考えていた、という記録である。
10年後にこの記事を読み返したとき、「この頃から下山を考えていたのか」と思うのか、「50歳で下山なんて早すぎるだろ」と笑うのか。それも分からない。
ただ、30代の私は積み上げることで人生を大きく変えた。その力を捨てる必要はないと思う。一方で、50代の私は、何でも将来のための蓄積にしようとするところから、少しずつ下り始めてもいい。

今日のところは、
「本気で積み上げない」
「もうすでに持っている」
「足りなければ、そのとき足す」

くらいを覚えておくことにする。

では、これまで積み上げてきたものはどうするのか。
別に捨てる必要はない。経理も税務も英語もAIも、必要なら使えばいいし、使わなければ放置しておけばいい。ただ、それらを「せっかく身につけたのだから、いつか何かに役立てなければならない」と考えるのは、そろそろやめてもいい気がする。

今持っているスキルを「資産」だと考えるなら、そこから将来の収益を得ようという期待を手放す以上、その価額も切り下げなければならない。

そう、あの処理だ。
価額を切り下げたところで、持っていることに変わりはない。使ってもいい。放置してもいい。

心の減損処理。